2017年9月16日(土)
9.花火
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こんにちは。
シゴトデザイナーの寺田好枝です。
台風の影響で雨&強風マークのお天気に。
おでかけの皆さんは、天気予報をこまめにチェックしてくださいね。
私の3連休も台風の影響で、田舎暮らしを変更して
東京でシゴト、そして仕事です。
現在、某大手流通さまの
料理イベントコンテンツを考案中に伴い、
実施展開に向けて関係者さんたちと打ち合わせをしたり、企画書を作成しています♪
広告の仕事をしているときの私の肩書は
「アカウントプランナー」です。
以前、私の主な仕事内容をお話させていただきましたが
広告業界では知られる職業ですが、世の中に浸透している?とは程遠いので、
プロフィールも兼ねて
寺田好枝がどんな仕事をしているか簡単にご紹介します♪
「アカウントプランナー」って?
アカウント(account)とは、広告用語で広告代理店の顧客・得意先をいう意味になりますが、私は「お客さまとの深層心理を追及する・繋がりを創る」ことを意図として、仕事に携わっています。
なので、「アカウントプランナー」とは
クライアントさまの商品やイベントなどにおいて
「消費者であるお客さまの深層心理を追及し、商品を好きになってもらう・購入していただく」
「消費者であるお客さまがワクワクする、行ってみたいと思うイベントやフェスを開催して、ワクワクする期待感や行くという行動を創る。感動を創る」仕事をしています。
その業務内容は
●モノ・コトの情報を集める・調査&分析をする(マーケティング)
●モノ・コトを確立させる(ブランド構築)
●あらゆる接点を活用して人にモノ・コトを伝える(コミュニケーション戦略)
●モノを広める・売りをつくる(コミュニケーション戦略の具現化)
●クライアントに提案する(企画書作成・プレゼン)
主な仕事に
P&G・セブン&アイホールディング・カルビー・明治・伊藤園・コカコーラ・味の素・
資生堂・コーセー・NTTドコモ・トヨタ・日産・パナソニック・ブラウンをはじめ、
日本・外資の大手企業さまの重点商品・ブランド商品に携わり、
ブランドコミュニケーション戦略を中心に
どんな商品を売場に設置したら売れるかの戦略を立てるマーチャンダイジング(商品化計画)や売場に提供店頭販売戦略(販売促進)を得意とします。
最近の仕事で携わったのは
コカコーラから初のトクホ商品「コカコーラ・プラス」
80年を超えたロングセラー商品「ヤクルト」
セブン&アイホールディングスグループ
また、昨今は中小企業さまのスキンケア・コスメの立ち上げ事業展開や
製品のブランディング強化事業にも携わらせていただいてます。
そして、今年からは個人事業主さまのコンサルティング・講座もスタートしました。
私も個人事業から会社経営までの経験を活かして
少しでも皆さんのお役に立てれば幸いです♪
Have a good days & smile
Yoshie
先月末始めたインスタグラムは、
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こんにちは。
Ameba読者登録キャンペーンにて
私のブログが選出されました。
ありがとうございます!
嬉しくてひっくり返りそうです。
初めましての方が沢山いらっしゃいますので
改めて今回プロフィールページとして残そうと思います。
よかったらご覧になってください。
このページは随時改訂していこうと思います。
このブログの登場人物とプロフィール
まずは筆者である私から。
香歩です。
兵庫県出身。
只今エリア51。もうすぐ52才。
地元の高校を出て西宮の短大卒業。
卒業後大阪で4年間OL生活。
ブラックマンデーとバブルを丸ごと体験。
憧れていた海外生活に24才で飛び込む。
それ以来28年間ロサンゼルス生活。
LAではベビーシッターから始まり
空港やホテル、テーマパークなどでカスタマーサービス。
Museumの案内係などもしました。
朝6時から夜は11時まで働いていました。
働きすぎて外で倒れた事もあり。
妊娠3ヶ月の時、仕事中に大量出血。
流産はまぬがれましたが、生まれるまで自宅安静と言われ
大好きだった仕事を全部やめ
その後は子育てに専念。
娘はただいま17才です。
このブログではそんな私のアメリカ生活を中心に
子育て、お薦め観光スポットやレストランの紹介
国立公園めぐりや旅行記
柴犬ラッキーの写真など
幅広く毎日更新中。
夫。
職業ビジネスジェットパイロット。
アメリカでパイロット歴24年。
古いトヨタトラックを愛し
ただいま自分でカローラのクラッシックカーを作成中。
夫の事は『アメンバー限定記事』が多いです。
アメンバー申請は『自己紹介がある方のみ』承認しています。
ご協力お願いします。
娘。
2000年LA生まれの17才。
1人っ子でシャイ。
ファッションやネイルに興味を持つ普通の高校生。
身長173センチの長身で
英語70%日本語30%というバイリンガル。
テニスとピアノを続ける健康女子。
柴犬ラッキー。
ニックネーム「ラキポン」
5才。アーカンソー出身。
飼い主に忠実で純粋。
勇敢で利口。狩猟犬気質で立ち向かう性格。
忍耐強く神経質で頑固。
山と自然と花が好きです。
目標は国立公園全部制覇。
初めて訪れた方に読んで欲しい人気記事。
ラッキーの写真はなるべく毎日UPします。
ぜひしてね。ワン。
そしていつも応援して下さってる親愛なる読者様。
ここまで来れたのも皆さまのおかげです。
本当にありがとうございます。
これからもどうぞ宜しくお願い致します。(ぺこりぺこり!)
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◉こちらも引き続き宜しくお願いします◉
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こんばんはヾ(@°▽°@)ノ
情報が入ったらどんどん追記していきます~♪
男子SP終わりました・・・結果のみ・・・ですが・・・
しょうまは初戦から104・87とパーソナルベストでしたv(。・ω・。)ィェィ♪
あっと言う間に終わりましたね!
6分間練習の動画です・・・まるでしょうま専用のカメラのようでした。+.。ヽ(*>∀<*)ノ。.+。キャハッ
うちのパソコンカクカクで・・・でも6分間練習の動画は上がってなかったので
こちらで我慢して下さいm(_ _ )m
演技動画
お借りしますm(_ _ )m
なんでこんなに綺麗に撮れるのかな・・・?
うちの動画 (→o←)ゞ
ジャッジスコア
お疲れ様(♡ >ω< ♡)
詳しくは・・・明日・・・おやすみなさい・・・Zzz…(*´?`*)。o○
・:,。゚・:,。★゚・:,。゚・:,。☆゚・:,。゚・:,。★゚・:,。゚・:,。☆゚・:,。゚・:,。★゚・:,。゚・:,。☆゚
(追記)
男子始まりましたね~♪
今動いているライストはこちらで~す!
しょうまのオリンピックシーズンの初戦・・・いよいよ・・・今深夜ですね!
今からドキドキしています(→o←)ゞ
新衣装での演技も楽しみだけど・・・
ドキドキ・・・(*゚ー゚*)
ライスト~こちらです♪
女子はもう始まっていますよ~♪
佐藤くん 第2グループ 12番滑走 (2時05分頃)
~6分間練習 2時12分から2時27分頃~
ラトデニくん 第3グループ 13番滑走 (2時27分頃)
しょうま 第3グループ 14番滑走 (2時33分頃)
ジェイソンくん 第3グループ 18番滑走 (2時55分頃)
宇野は今季、アクセルを除く5種類の4回転ジャンプ習得を狙っている。フリーの「トゥーランドット」では、4回転ループから始まり、4回転サルコー、トリプルアクセル、4回転フリップ、4回転トーループ……と詰め込んでいくという。
「大変ですね。種類が増えると、まずそのジャンプのウォーミングアップから入って、それからジャンプに挑んでという感じでやっていくので、すごく練習時間がとられる」
試合前の練習は6分間。「まず1分間スケーティングをして、最初にトリプルアクセル、トーループと跳んで、これでもう2~3分かかる。そこからループ、サルコー、フリップと跳ぶのに、それぞれ1分ずつしかない。1回失敗したらもうやり直せない」と言い、「もう、6分間練習はスケーティングだけでいいのかなと思う」と苦笑した。
フィギュアスケートのロンバルディア杯(イタリア)が14日(日本時間15日)に開幕する。昨季、世界選手権銀メダルを獲得した宇野昌磨(トヨタ自動車)は前日練習後、「やっぱり僕は試合が好き」と“らしい”言葉で今季初戦が待ち切れない思いを明かした。
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では、失礼します(o´・ω・`o)ノシ
GO~~~~!!SHOMA─=≡Σ((( つ•̀ω•́)つ
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Googleで「トヨタ F1復帰」と検索すると、一番最初にという気になるタイトルのまとめ(※現在は非表示)がヒットする。
その執筆者が挙げている5つの理由をまとめると、
①トヨタには優れたハイブリッド技術がある
②欧州の拠点(TMG)がすでに存在している
③TMGには優れた風洞設備がある
④レッドブルのPU供給元が不透明(注:2016年3月の記事)
⑤アメリカンチームのハースはPU供給先として魅力的
これを読むと確かにF1復帰の条件は揃っているようだが、肝心な「なぜトヨタがF1に参戦するのか?」には一切触れられていない。
おまけに最後には
以上が5つの理由になりますが、結局はやくF1に戻ってきて欲しいというのが最大の理由ですね。(笑)
などと書かれている。要は筆者の妄想で、タイトルは「釣り」である。この記事は極端な例に見えるが、ジャーナリストやファンの願望や希望的観測が独り歩きして、噂として広まってしまうケースは結構ある。
参考:
確かにトヨタは以前ホンダと共にF1にフルワークス参戦していたため、復帰の可能性を夢見る人は多い。しかし現実にはその可能性は限りなく低い。
本記事ではリーマン・ショックから立ち直った今のトヨタがなぜF1に参戦しないのか、その考えられる理由を4点にまとめてみた。
①豊田章男社長という存在
トヨタがF1に参戦しない理由を語る上で、豊田章男氏を外すことはできない。章男氏は社長に就任して一年も経たない2009年末にF1撤退を決定し、さらに2014年には「」と断言している。
この話だけ聞くとモータースポーツ大嫌いな社長なんだな、と思うかも知れないが実際は真逆。『モリゾウ』の登録名で、自分でステアリングを握ってニュルブルクリンク24時間レースや全日本ラリーに参戦したり、WRカーやNASCARマシンでテスト走行するほどモータースポーツ大好きな社長だ。
参考:
WRC(世界ラリー選手権)の参戦表明にて。WRカー規定のヴィッツを見た喜びを、「18年恋い焦がれた彼女に会えた感じ」と表現した。より。
F1も無理やり撤退に追い込んだのではなく、むしろTMGのためを思ってF1慰留を考えていたという。
しかし当時の経済状況がそれを許さなかった。世界販売台数1位を争っていた米GM(ゼネラル・モータース)とトヨタは、大企業病のせいで慢性的な赤字体質。そこにリーマン・ショックが襲来しGMは破綻、トヨタも2009年3月の連結決算では創業以来初の赤字(最終損益4369億円)となり、同時に750万台という大規模なリコールも発生した。この状況を「トヨタの消滅前夜」と重く捉え、章男氏は自分の社長という立場を踏まえてF1撤退の決断に至ったという。
しかしその大ピンチを乗り切った今なら、F1参戦の余裕はあるはず。
なのにモータースポーツに理解のある章男氏が、F1だけは参戦しないと言い切っているのはなぜなのか?その根底にある章男氏独自のモータースポーツ観を、二つのキーワードで読み解いていこう。
1.「FUN TO DRIVE, AGAIN」
章男氏はレースに参戦するだけでなく、様々な会場やイベントに顔を出している。Jスポーツの放送席や、スーパーGTに顔を出す。一般の競技者に混じってラジオ体操もする。ファンに向けても書いているし、で配信もしている。
自分が良いと感じたらライバル社の車やドライバーであっても賞賛を惜しまない(、、など)。
また自社に関しても「」とか「」とか、社長というより一人の車ファンとしての発言も多い。
「若者が車から離れたのでは無い、我々が若者から離れたのだ」と語り、若者との話し合いの場にも参加している。より。
社長が自ら一般のファンのもとに歩み寄る、こうした地道な広報活動は、彼が豊田一族でありながら平社員から始まり自分の脚で歩く営業で長年下積みをして得た教訓だと思われる。
車の楽しさと歓びをより多くの人々に伝え、「自分も車を運転したい!」「モータースポーツにエントリーしてみたい!」という熱い気持ちや車への愛を感じて欲しい。そして自分たちも安くて運転を楽しめる車を作る。それこそが章男氏の原動力であり、車文化復興=「FUN TO DRIVE, AGAIN」だといえる。
今のトヨタがGAZOOという車情報サイトを運営しているのも、広告費を市販車だけでなくに使っているのも、より多くの人々に車のワクワクを伝え、車文化の裾野を広げたいという信念の現れである。
一方でF1はどうかといえば、色々と浮き世離れしすぎていて、我々一般市民からは遠すぎる。
上位チームは1年間に400~500億円も金注ぎ込み、政治的な抗争に死力を尽くし、あらゆる手を使って勝とうとする。
下位チームは高いコストに苦しんでいるので、何十億円という大金を持ち込めるペイドライバーばかり優先的に雇う。そして金が払えなくなったら、腕があっても捨てられる。金を絞りとるだけのビジネスと半ば化しているチームもある。
その結果各チームの戦力差は固定化され、年間21戦もやっているのに勝てるのは毎年2チームだけという状態が続いている。
さらにF1はドライバーだけでなくファン、TV局、サーキットからも高額な料金を搾り取っている。
しかしファンの方も「金をじゃんじゃん使うのがF1だ」とむしろそういうものを見たがり、歓迎する趣すらある。
したFRスポーツカーの86。スバルとの5年以上に及ぶ共同研究により低価格と素性の良さを両立した。モータースポーツでもプロアマ・カテゴリ問わず人気が高い。より。
世界一の大企業の社長でも、一般のファンたちに歩み寄る章男氏と、金をいかに高く絞りとるかを考えてセレブを優遇し大衆を軽視するF1。
章男氏の理想とする身近で大衆的な「車文化」と、大富豪やエリート限定の貴族主義・エリート主義の象徴である「F1文化」は対極の位置にある。
参考:
2.「もっといいクルマづくり」
章男氏はWRC参戦時の会見で、「」と語っている。
この考え方自体は章男氏の専売特許ではない。例えばホンダの初代NSXも、アイルトン・セナにキツいダメ出しをされた後、テストコースを悪路で名高いニュルブルクリンクに移した。すると急激にクルマの出来が良くなったという有名な話がある。他にも日産GT-R、スバルWRX STI、三菱ランサーエボリューションなど、日本車でもスポーツカーの多くはニュルで鍛えるのが半ば常識となっている。
だが今の自動車メーカーの社長で「道が人と車を鍛える」ことをここまで強く語る人は、章男氏以外にいないのも事実だ。
参考:
WRカーで華麗にドリフトする『モリゾウ』こと章男社長。
レクサス史上最高傑作のスーパーカー・『LFA』の開発秘話は章男氏の「道が人を鍛える」という信念の誕生秘話にもなっている。若い頃から車を運転することが大好きだった章男氏は、頑固親父印なドライバー成瀬弘さんに頼み込んでドライビングの基礎を1から教わった。そして成瀬さんとともに過酷なニュルブルクリンクで、テストやレースに参加してLFAを鍛え続けた。成瀬さんは2011年、ニュルでのテスト中に事故で亡くなってしまったが、一台の究極のスーパーカーをニュルで自ら鍛え、仕上げたことが章男氏のモータースポーツ精神の礎になっている。LFA完成後も章男氏は多くのレクサスやトヨタの新車・試作車をニュル24時間レースに投入しつつ、自らも参戦している。
また鍛えたドライビング技術と感覚を活かして章男氏自らも開発中の市販車でテスト走行し、走りの味について吟味をしている。
参考:
レースで車を鍛えて、そして「もっといいクルマづくり」へ繋げる。レースで鍛えたワクワクするクルマをより多くの消費者に届ける。それがもうひとつの章男氏のモータースポーツ観だ。
2015年のニュル24時間に参戦したLFA Code X(SP-PROクラス優勝)。LFAに注がれた技術と精神は、今日のレクサス車にも継承されている。またレクサスの顔であるスピンドルグリルは格好良さ・悪さではなく、見た者に強いインパクトを与えることを目的としている。より。
そこへいくとF1はラリーやニュルと真逆である。タイヤやサスペンションはむき出しで、ドアも屋根もヘッドライトも助手席もない。重量は軽自動車すら200kgも凌ぐ軽さ。寝そべって窮屈に入るコックピット。タイヤは恐ろしくぶ厚い。快適性や安全性をギリギリまで削って世界最速を極限まで突き詰めた分、車体が公道車からかけ離れすぎて「もっといいクルマづくり」というスローガンの象徴にはならないし、毎年数百億円単位の大金を投資する対象にもできない。
章男氏が目指す「いいクルマ」とは、F1のような速さだけを突き詰めた車ではない。長時間の走行や、様々な道に対して車も人も耐え抜けるという公道車としての強さを持った車だ。そしてラリーと耐久はその強さを鍛える象徴として最も適しているといえる。
そしてラリーや耐久で鍛えた車はマーケットで販売される。レースで走りを証明した車が我々一般人にも買えるということは、車好きにとって至上の歓びだ。このようにラリーや耐久による「もっといいクルマづくり」は「Fun to Drive」の思想ともリンクしていると言える。
SUVながらニュルブルクリンク24時間に参戦したC-HRの試作車。雹が降るなど荒れた展開で出走158台中57台が脱落する中、完走を果たした(総合84位/クラス3位)。ドライバーからは長時間乗っても全く疲れないと評判だった。より。
章男氏は2017年に社内カンパニーとしてモータースポーツの部署を独立させており()、よりモータースポーツと市販車の繋がりを強め、かつレースに継続的に参戦しやすい体制を作ろうとしている。
以上A・Bと述べてきたように、F1の現実と章男氏の理想は大きくかけ離れすぎている。故に「自分が社長でいる限りF1復帰は無い」という言葉は、紛れもなく真実だと言える。
☆仮定:たった今、章男氏が社長を辞任したら?
本来ここで本稿は終えても良いのだが、章男氏の存在一つだけを理由に「絶対」と言い切るには少し説得力に欠けるかもしれない。というわけで、もし今章男氏が何らかの理由で社長の座を降りたとしたら?という仮定の話もしておこう。
冒頭で挙げた記事は、トヨタが10年前からハイブリッド技術をレースに持ち込んでいることをF1復帰の可能性に繋げて説明している。確かに現在トヨタはハイブリッドの研究・アピールの名目で、WEC(ル・マン24時間レースを頂点とする耐久レースの世界選手権)のLMP1クラスにハイブリッドマシンを持ち込んでいる。そこでF1もハイブリッド化された今なら、世界的な人気の高いF1の方に復帰したがるのが当然だろうという希望も含めた憶測は根強い。
トヨタのLMP1-Hマシン・TS050 HYBRID。市販車用ハイブリッド技術(THS-II)から運動回生技術を抽出して特化したTHS-Rを搭載。回生だけで500馬力、エンジンと併せて最大1000馬力を発生し、最高速度は340km/hを叩き出す。より。
しかし自分はこの仮定においても、トヨタがWECを止めてF1に参戦することは無いと考えている。その理由を以下に述べる。
②F1の「ハイブリッド」の特殊性―自由の無さと熱回生の問題
まずは技術面の問題から。一言で「F1もLMP1-Hもハイブリッド」と言っているが、実際にはエンジンも回生も全く違う。
F1のパワーユニットはただ一つのみの規格(ガソリン/MR/1.6L/90度V型6気筒/シングルターボ)に限定され、回生エネルギーの放出も後輪のみにしか許されない。
一方でLMP1-Hは4ストロークのピストンエンジンでさえあれば、ほぼ完全に自由。排気量も気筒数も駆動形式もバンク角も過給も自由。直列も水平対向も可能だし、MRもFFも4WDもできる。回生エネルギーの放出も前輪・後輪の片方あるいは両方にできる。
このようにF1とLMP1-Hは自由度に差がありすぎる。喩えるなら柔道と総合格闘技くらい自由度が違うし、当然勝つために求められる発想も異なる。
そのため簡単にハイブリッドを転用とはいかず、1から設計と研究をやり直す必要がある。
参考:
F1のパワーユニットはごく限られたスペースに同じ規格のエンジンを収めるため、パーツ一つひとつの配置・形状を細かく工夫してアドバンテージを稼ぐ必要がある。より。
もう一つ、回生技術の種類も違う。
F1は運動回生(回生ブレーキ)で回生できるエネルギー量が一周あたり最大2MJと定められている一方で、熱回生(排気熱)のエネルギー量に制限は無い。つまりF1は熱回生を極めることが勝利のカギとなっている。
2015年にホンダがF1復帰した名目はまさに熱回生の研究だ。事実、コスト高騰の最大の原因となっている熱回生を廃止しようという提案が他の3メーカーからされた時もホンダだけは猛烈に反対した。
一方でLMP1-Hは一周あたりの回生エネルギー放出量を2/4/6/8MJのうちから一つ選択できるが、いずれでも熱回生を用いる必要はない。そしてトヨタはTS030からTS050まで一貫して運動回生のみ。つまりトヨタはF1で勝つ上で最も重要な熱回生の技術でレースをしたことがないのだ。
現在F1で圧倒的な速さを誇るメルセデスは、この規定に合わせたパワーユニットを開発するのに5年をかけたという。一方ホンダは復帰宣言や噂になり始めた時期も考えると1~2年足りない。他メーカーに勝つには数年かけてパワーユニットを開発しないとダメなのだから、今決心してもすぐ参戦というのはできないわけだ。未だに熱回生を採用したことがないトヨタなら尚更である。
ポルシェ919 HYBRID。V4という画期的なエンジンに加え、LMP1ではいち早く熱回生とリチウムイオン電池を採用。最初に回生量を8MJまで引き上げ、参戦2年目でル・マンとWECを制覇した。より
実際にはTMGは将来の規約改定(10MJ回生・ERS×3)に向けて熱回生も同時に研究中だが、これはあくまで追加的な2MJのためで、熱回生を主力とする予定は当分無いとのこと。そもそも熱回生の研究はWECでもできるのだから、わざわざ不自由なF1に好んで行く理由がない。
③F1はメーカーにとって優先事項ではない
F1で勝つにはLMP1-Hの2~4倍もの予算が必要とされているが、実際にそれに見合った宣伝効果があるかは難しいところである。
2016年の世界販売台数トップ3グループはトヨタ・VW・GMであるが、子会社含めていずれもF1に参戦していない。トヨタはF1で8年間戦って1勝すらできず、コンストラクターズ選手権も4位止まりだった。またVWは長らくF1嫌いなフェルディナント・ピエヒが会長だったし、GMもF1に参戦したことは一度たりとも無いが、いずれも販売台数世界一を経験している。
ここで言いたいのはF1の宣伝効果は皆無ということでは無く、F1に巨額を注ぎ込まなくともブランドイメージは確立できるということである。
2015年ル・マン24時間のLM-GTEプロクラスで勝利したシボレー・コルベットC7.R。日本では馴染みの薄いGMだが、NASCAR、ル・マン、WTCC、英国BTCC、北欧STCC、豪州スーパーカ-、ブラジルストックカーなど世界中の「箱車」レースで多数の勝利とタイトルを獲得しており、存在感は大きい。より。
そもそもF1は開発競争以前に『世界一速いドライバー決定戦』である。「今のF1ドライバーはエンジニアの指示通りに運転するだけ、これではただのオペレーターだ」という批判を浴びて、FIAが無線内容を制限しようとして右往左往したのも、F1の主役はドライバーだという暗黙の前提があるからだ。
またF1はエンターテイメントでもある。超一流のドライバーたちの白熱のバトル、地上最速のマシン、戦闘機の如き大迫力の排気音、とにかく最高の興奮をファンは求めているし、FIAもそれを演出しようと躍起になっている。そのためF1のハイブリッド化を「セーブして走ってばかりでつまらない」「音の迫力が無くなった」「エコなんてF1でやることじゃない」と否定する声は、F1ファンはもちろんOBや関係者からも未だに根強い。
F1の人気とセレブリティは随一なので、露出やステータスを重視する企業には向いている。しかし大衆車メーカーが環境技術をアピールするのために参戦するのはハッキリ言って場違いである。
思想の違いはタイヤにも表れている。F1は小径ホイールに凄くぶ厚いタイヤで、エンターテイメントのためにわざと劣化しやすい(ハードで約150kmが限界)設計が求められる。
一方WECは大径ホイールに薄いタイヤで、耐久力が高く(LMP1の高温用ソフトで約750km走行可能)気温の著しい変化にも対応できる、より市販品に近いタイヤを開発する。より。
興味深いことに、近年F1参戦が噂されたメーカーは最終的にWECに参戦を決めていることが多い。
・→LMP1参戦
・→LM-GTE参戦
・→2018年にLM-GTE参戦
この流れを見ると、世界選手権を戦いたいと考えるメーカーにとってF1は魅力的でない、または仮に魅力的であったとしても障壁が高すぎるのだといえる。
実際各メーカーから、F1があまりに金がかかりすぎること、1チームの独走期間が長すぎること、エンターテイメントとの兼ね合いで規則が不安定なこと、公道車と技術やイメージがリンクしていないことなどが問題点として挙げられている。
参考:
2017年から世界選手権の格が与えられる、WECのLM-GTEプロクラス。フェラーリ、ポルシェ、アストンマーティンに加えて2016年にフォード、2018年にはBMWが参戦する。LMP1より圧倒的に低コストであることと、公道車のボディ・エンジンを使用するのがポイントで、近年LMP1を超える盛り上がりを見せている。より。
④トヨタのDNAはラリーと耐久
そもそもトヨタ復帰はどれだけF1ファンに求められているのだろうか?
下のグラフはF1日本GPの入場者数と視聴率の推移だが、トヨタがF1に参戦しても撤退しても、日本のF1人気には大して影響していなかったという事実がこの数字の推移から浮かんでくる。
07年は入場者数28.2万で視聴率8.5%、08年は21.8万で6.6%。より。
日本のF1人気の低下の原因はが原因に思われがちだが、実際はそうでは無い。F1人気はそのままで入場者数が減っただけならTV観戦が増えなければおかしいが、一緒に視聴率も急落している。つまり富士開催関係なく日本人にとってのF1の魅力が落ちたと考えるのが自然だ。
そうしたことを踏まえると、F1人気急落の最大の原因は2008年序盤のスーパーアグリ撤退と佐藤琢磨のシート喪失、そして同年末のホンダF1撤退が相次いだためだと考えられる。逆にBARホンダがコンストラクターズ総合2位、琢磨が表彰台獲得という高パフォーマンスを発揮した2004年に視聴率が2%も伸びていることからもホンダ系のF1ファン人気に与える影響力の高さが窺える。
本田宗一郎氏やアイルトン・セナのような偉人たちのストーリーを受け継ぐホンダは、F1における正義としてファンの心をガッチリ掴んでいた。
それに比べるとトヨタのF1参戦・撤退は遥かに影響が小さい。参戦年の上昇は佐藤琢磨のデビュー年と被っているし、撤退翌年は入場者数こそ減っているが、視聴率は悲しいことに04年以来初めて上がっている。
なぜトヨタF1の人気が無かったのか。一つには当時のトヨタの会長であった奥田碩氏の存在がある。彼は強烈な攻めの姿勢と素早い仕事ぶりで拡大路線を展開、トヨタを世界一の企業に押し上げた。しかし一方で急激かつ過激なやり方(急激な改革と過度なコストカット―下請けイジメや深刻なサービス残業、品質管理の手薄化、スポーツタイプをほぼ全廃など)をしていたこともあり、その結果「トヨタは金儲けしか考えない」「自動車をつまらない白物家電にしてしまったのはトヨタだ」というイメージがこびり付いてしまった。それに加えて悪夢の富士開催である。現在トヨタを異常に毛嫌いしている車ファンのほとんどは、奥田会長時代のトヨタから嫌いになったと言っても過言ではない。
2007年F1開幕戦でサーキットを訪れた奥田会長(左、当時)。歴代のトヨタ社長で唯一経団連会長も務めたが、その言動や施策は多くの人々の神経を逆撫でした。章男氏とは当時も今も犬猿の仲。より。
そしてもう一つ、トヨタが元々F1と結びつくイメージが全くなかったためでもある。歴史を紐解いていくと、トヨタはラリーとスポーツカー耐久で名声を築いてきたメーカーということが分かる。
トヨタは1970年にモンテカルロラリー、1972年からはWRCへの挑戦を開始、1000湖やサファリで勝利を重ねた。90年代のグループA時代に大ブレイクし、4回のドライバーズタイトルと3回のマニュファクチャラーズタイトルを獲得している。チャンピオンマシンのセリカGT-FourやカローラWRCなどは今も熱心なファンが多い。
耐久でもトヨタは60年代の日本グランプリに始まり、日本CAN-AMやJSPC、WSPCやSWC、IMSAなど国内外問わず多くのプロトタイプカーレースに参戦し、マツダや日産と共に人気を博していた。ル・マンでは総合優勝こそ無いが幾度も表彰台に乗っており、クラス優勝も1993、1994、1999年に経験している。
参考:
グループC規定のTS010(1991〜1993年)。F1の如き快音を響かせる3.5L/V10NAはTRDの純製で、750馬力を発生した。小河等がSWC優勝、関谷正徳がル・マン総合2位を飾っている。
このようなトヨタの20世紀のモータースポーツ活動と現在の活動を合わせて鑑みると、F1参戦は奥田政権下のイレギュラーな出来事にすぎないといえる。事実、F1に参戦しているときも、「トヨタはF1のイメージと合わない」という声が多く聞かれていた。これらのことから、急激な路線転換となったトヨタのF1活動は多くのファンから歓迎されていたとは言いがたい。
ホンダはF1を知らない人やライトなファンにも受け入れられやすい歴史とイメージを持っていた一方、トヨタにはそうしたものがなかったことが人気の大きな差に繋がったと言える。トヨタとホンダは市販車ラインナップの傾向こそ似通っているが、レースにおける立ち位置は本来かなり違う。
逆に今のホンダが「走る実験室※」を理由にしながら、なぜ規制の緩いWECではなくて不自由なF1の方に復帰したのかといえば、それは歴史に基づく「ホンダはF1」というイメージを重視したからに他ならない。同様にフェラーリやマクラーレンが半世紀もF1に参戦し続けるのも、F1のイメージでブランドが持っているからである。このようにイメージに合致したカテゴリ選択は、企業にとって非常に大きな意味を持っている。
そういう意味でも社長就任時に「原点回帰」「本来のトヨタの良さを取り戻す」と表明した章男氏が、昔ながらのラリーと耐久に回帰するのは自然なことである。
※「走る実験室」は第一期ホンダF1監督の中村良夫氏の言葉だが、実際はにすぎず、中村氏自身もこの言葉を嫌っていたという話がある。
また第二期ホンダF1監督の桜井淑敏氏は本田宗一郎について「勝てないレースはやらない」と語っている。
グループA規定のセリカGT-Four ST185(1992〜1994年)。カルロス・サインツ、ユハ・カンクネン、ディディエ・オリオールの3人をWRC王者に押し上げた名車。今では絶滅したリアクタブルヘッドライトが目を引く。
今のトヨタもプロトタイプカー耐久で地位を確立している。2016年のル・マンでの大敗はその象徴的な出来事だった。
2015年に圧倒的な資金力で、1周につき5秒という耳を疑うような大進化をした新旧耐久王ポルシェ・アウディと、両者の前にもはや為す術無しと思われたトヨタ。しかしTMGは過密スケジュールでTS050を一年前倒しで投入する頑張りを見せる。その甲斐あって2016年のル・マンでは直前までのイメージを覆した。優れたペースと一周分の燃費の良さを武器にポルシェとアウディを徐々に追い詰めていく。
そして誰もがトヨタの勝利を確信した23時間53分30秒、中嶋一貴の身も凍る無線「I have no power!!」誰もがまさかと思った大逆転負け。初挑戦から30年以上、やっとトヨタが勝つと思ったのに、残りわずか3分で力尽きるTS050に、みな言葉と力を失った。
マシンが完全に止まったのと同時にポルシェ2号車に抜かれた場所がホームストレート上であったことが、悲劇性と同情を増幅させた。スタート前「ル・マンキング」の異名を持つジャッキーイクスは「ル・マンに優勝することはできない。ル・マンが君を優勝させるのさ」と語っていたという。
しかしそんなトヨタに世界中のモータースポーツファンが賞賛を惜しまなかった。ライバルのアウディも「」とツイートし、ポルシェもル・マン勝利の各宣伝にトヨタへのリスペクトを添え、そしてWECの公式すらも「」とエールを送った。
かつて「金だけ湯水のように注ぎ込んでいるくせに勝てない」「モータースポーツを知らない」「F1から出て行ってくれ」と人々から疎まれ、憎まれ、叩かれ続けたトヨタF1とは対極の姿である。ドイツの耐久王たちに挑み続ける挑戦者として、ル・マンで人々に愛されるトヨタGAZOOレーシングとして生まれ変わった瞬間だった。
参考:
③で宣伝効果のことを取り上げたが、企業がモータースポーツ活動をする上での本当の宣伝効果は目先の販売台数よりも熱烈なファンを獲得することである。そういう意味では、この時点でWEC参戦は成功だったといえるだろう。
しかし仮にル・マンで一回勝ったからと言ってホイホイF1に転身してしまえば、その成功は灰燼に帰す。それはトヨタがF1撤退時にも非難された、「モータースポーツ文化を理解していない」行為である。世の中にはF1よりWECの方が好きなレースファンも大勢いる。アウディが撤退した今、もしトヨタも撤退してしまえばWECは確実に退屈なものになるのは必至だし、それどころかWECというシリーズと文化を潰してしまいかねない。
アウディが今日までに新耐久王という名声を築けたのは憎たらしいほどの強さに加えて、18年間に渡って参戦し続けたことにある。アウディがル・マンで活動していた期間の多くは、メーカー系のライバルはプジョーやトヨタ1社のみだったし、時には0社だった時もあった。しかしそれでも長い間ル・マンの伝統を支え続けたからこそ、揺るぎないブランドと尊敬を築いた。
トヨタも、もしル・マンで真の成功を得るならば勝利という記録に囚われずに参戦し続ける必要がある。勝ったら覇者として挑戦者を待ち受け、負けたら挑戦者として覇者に立ち向かう。その姿勢こそがファンの支持を集めるのである(AUTOSPORT2/17号で同様のことをTMGの村田久武氏も語っていた)。
また「トヨタは簡単に勝てるル・マンに逃げた」という意見も散見されるが、それも間違っている。この半世紀以上の間、F1でもル・マンでも、優勝できた日本メーカーは各一社だけであることからも分かる様に、どちらも等しく難しいレースだ。トヨタが2位止まりのままなのはF1もル・マンも同じであり、「簡単に勝てる方」など存在しない(元々トヨタはプジョー・アウディと戦う覚悟を持って参戦を表明していた)。
現在残っているライバルは、フェラーリに並ぶスポーツカーメーカーであり、ル・マン総合優勝18回の金字塔を持つポルシェ。グループC時代から日本勢を幾度となく退けてきた彼らに挑み続けることは栄誉と呼ぶに十分足る。
2013年ル・マン24時間のオープニングラップで、アウディ艦隊を切り崩してトップに襲いかかるトヨタ。LMP1の台数こそ少なかったが、異なるハイブリッドを搭載した両雄の闘いはファンを熱くさせた。
☆まとめ
②〜④を一言でまとめれば「トヨタがF1復帰しても勝てるまでに途方もない金と時間がかかるし、その割にトヨタにもモータースポーツ文化にもメリットは薄い」。なので当ブログでは章男氏抜きにしても「トヨタにF1を期待すべきではない」と結論したい。
日本のF1人気の再興と日本人のF1初優勝の願いは、F1のDNAを謳い続けるホンダにこそ託すべきだろう。
ルノー、アウディ、VW、DS、ジャガー、マヒンドラ、ヴェンチュリー、BMWと多数のメーカーが名を連ねるフォーミュラE。F1の1/10未満の低コストで電気自動車技術のアピールができるのが特長。世界中の自動車メーカーがF1を目指す時代は終わりつつある。より。
連休初日・・・
月に一度の
第3土曜日『トミカの日』
と言うことで
朝から9時オープンのAEONへクルマを走らせ
最終的にAEONの後にトイザらスへ行き
2店舗で何とか予定数が確保できました。
私がAEOに到着したのが9時10分頃でしたが
おもちゃ売り場のトミカのコーナーには
すでに、ほとんど残り少なくなっていましたが
画像を見て分かるように本日は
トミカ3点よりどり888円+税で959円で買えるということで
こんなことはAEONじゃ珍しいことでしたから
通常品の2種類と初回特別仕様を各1台ずつ計3台購入。
さて今月発売のトミカを紹介しますが
まずはコレ!
№19
SCALE 1/64
『フォードGT』
通常品のボディカラーはシルバー。
このボディカラーのシルバーになっているのに
サイドに張り出しているエアロパーツはシャシーと一体化しているため
シャシーの色が完全な銀色じゃないので
本当は見えるところだけでもボディと同色にして欲しかったけど
そこは、ちょっと違和感があり残念なところです。
それに、ちょっと不思議に思ったことが・・・
箱には『フォードGT』と明記されているけど
シャシー側を見ると・・・指名の刻印の後に
『Concept car』と追記されているので
実際のところは市販されたクルマじゃないってことなんでしょうね。
じゃあ何でタカラトミーという大きな会社なのに?
箱には追記されていないのか・・・ちょっと疑問ではありますが
まぁコスト的に無理だったってことにしておきましょうか?(笑)
そして初回特別仕様のボディカラーはメタリックブルー
今回は先月のインプレッサとは違い単なる色違いだけのようで
毎月、同じクルマでも違う金型で作るってのは難しいと思うし
以前は『初回特別カラー』と書かれていただけあって
これが普通なんですけど・・・一度、違う金型で発売しちゃってからは
トミカファンとして何か、いつも発売するたびに期待してしまっている自分がいまして
同じだと思っていても
間違い探しじないけど通常品と並べて比べてしまっているんです(汗)
でも見る限り・・・同じですね。
それでも、この『フォードGT』を見ると
実車に少しでも近づけるためだと思うけど
かなり凝った作りに見えますが、これだけでもコストかかっていそうですね。
私は、このクルマの実車を知りませんが
数十年前の『フォードGT40』を知っている私には
この格好は、かなり前衛的であり正直、言って
カッコイイのか?異様なスタイルでカッコ悪いのか?よく分かりません(笑)
今回ちょうど開封した一台・・・
この『フォードGT』の初回特別仕様のフロント部分
銀で塗られているところから、はみ出て・・・と言うか
マスキングを、うまくしてなかったのか?
塗られてはいけない場所まで銀色が付いてしまっていて?
向かって左側は銀色に塗られているけど、はみ出ていて
右側は完全に忘れ去られていたようで塗られていない・・・と
最初は、そう思っていましたが
箱絵を見ても、この部分はボディカラーのメタリックブルーのままだから
どちらが正解か分からなかったので、もう一台、開封してみました。
画像上が不良品、下が確認のために開封した『フォードGT』
そしたら・・・
やっぱり銀色の塗料は、この部分には付いちゃいけない部分でした(笑)
コレ・・・どうしましょう?
タカラトミーのお客様相談室に電話した方がいいのかなぁ・・・
あぁでも電話受付時間が月曜日~金曜日(土日・祝日除く)
10時から17時って・・・絶対に無理じゃん(笑)
でも何とか連絡して交換してもらおうかなぁ。
そして今月発売の、もう一車種は
№100
SCALE 1/65
『トヨタ エスティマ』
こちらは私の好みからして買わなくても良かったんですが
3台888円という価格に誘われて買ってしまいました。
こちらもヘッドライトは塗装で誤魔化されてしまっていますね。
ボディの塗装は本当にキレイですね。
あちゃ~
後部ドア開閉しますが私の大嫌いなギミックです(汗)
トミカだから仕方ないけど
実車のことを考えると、この開き方は無いよね。
と、まぁ今月発売のトミカを紹介しましたが
購入した内訳は?
万一のことを考えトイザらスのネットショップで
トイザらスオリジナルトミカと今月の新製品『フォードGT』の初回特別仕様を
一台ずつ予約してあったので
最初に行ったAEONで先に書いた通り各1台ずつ買って
その後トイザらスへ行って初回特別仕様を一台買っているので
一番最初の画像の、いつもどおりの購入予定数を確保することができました(嬉)
う~ん、でも『フォードGT』の通常版でいいから
もうひとつ買って、どうなっているのか?バラしてみたいね(笑)
今月は、まだAEONとアピタ、そして書店売りのトミカがあるから
ちょっと購入を控えないと予算オーバーになってしまう?
今の状態でも完全オーバーかな???
我慢しないとね(汗)
今日のオマケ画像は
もう時間も過ぎてしまっているので無しで・・・
この、せっかくの連休
台風が直撃するようで明日から雨の予報ですが
明日、野外で開催されるフリーマーケットがあるけど
中止になるのかな?
行ければ、そろそろフリマの季節も終るから行ってみたいけどね。
トイザらスのトミカの紹介は次の機会にし
これで更新します!
今日は 皆イベントで遠征中の為 会社でゆっくりブログ書いてます。
車高短の人に一度読んでもらうためのリフトアップ学
少し お付き合いください。
リフトアップ
車高を上げる
すごく 単純な行為だが
その行為は 難しかったり
方法も車種にも よりけり・・
既製品のKITが出ている車種はイイ
ハイラックスサーフ FJクルーザー 150プラドなど
国産SUVは 結構KITが各社から販売されているから
お手軽に楽しめる。
もちろん北米車種でトラックはほぼすべてカバーされている。
勝手にストリートリフトと名うって
BALANCEでは定番的メニューの
~3インチ程度のスペーサーによる手法。
バネレートを変化させないので 大きく乗り心地にも影響しない
組み込み アライメントまで入れても 10万円台で済む
かなりコストパフォーマンスの高い手法です。
車高短で言う ダウンサス的な手法
実際 3インチ程上がっただけで このあたりの車格のベースは
見違えるほど 迫力が出ますからね。
次のステップアップとして
ショックやコイルオーバーのグレードアップという手法
車高短でいう ダウンサス→ 車高調へって感じ?
少し 値は張りますが オフロード走行はもちろん
通常の公道走行もかなりの安定感が出ます。
ロングストロークの上に しっかりした減衰が効いている証拠
車高の上げ幅は 2~3インチ程度です
理由はドライブシャフトとアッパーアームの限界角度に限りがある為です
これは大体の車種に共通する話。。
リフトアップは 単純に車高を上げるって行為から
足元を魅せるって 魅せる段階と言っていいかもしれません。
その 次は 6インチ以上クラスのリフトアップ
車高短でいう フレームやモノコック加工? アクスル加工?
そんな 少しハードな領域ですね。
車種は様々
方法は KITを利用し メンバー位置を下げ
ロアアームの取り付け位置を下げ
ロングナックルと ロングショックで上げていくような手法です。
こちらは さすがにKIT構成も点数が多く
金額もそれなりにします ・・・が 効果は抜群ですよね。
一目瞭然的に 車が大きくなってますから。
ここら辺からハードカスタムの部類にはいってくるでしょう。
その他にも
ボディーリフトって手法もあります。
これはフレーム車に限ってですが フレームとボディーの間に
1~3インチのスペーサーを入れ 単純にボディーを上げる手法
ボディーとフレームを一度 引っぺがす訳ですから 大がかりな作業ですが
部品点数も多くなく 比較的リーズナブルです。
こんな 感じが大まかなリフトアップの手法ですかね。
で! 何が言いたいかと言うと。。
我がBALANCEは変態さんが集うお店
個性を求める方々が多く
既製品に無いもの 過去に前例が無いもの程
うちに来られる傾向にある。。
なぜ?
一番特徴的なのが
モノコック車を上げたいってリクエスト。。
うちの代表作となったクルーガー
既製品の車高調は必ず 純正より下げるために作られている物
実際 どの車高調も 一番伸ばしても純正より低くなる。
作ったのはこんな車高調
純正長より伸びる方向に作った 逆発想のイカレタ車高調
単純に伸びただけではありません
(真似して 痛い目にあってください 笑)
机上の理論だけでは 予想しえないことがたくさん・・・
そのたび 苦労して、赤字だして改善し工夫してます。
・1Gの車重での沈み込みを抑える バネレート
・ポジ&ネガティブキャンバーを調整しきる機構
・スタビの取り回し
・リフトによる 車軸の位置の変化に対する アームの作成
・シェルケースのねじりに対する剛性をどう上げるか?など
色んな工夫を入れてます。
毎回 毎車種 トラブルがあり 改善があります。
今までどの車種も一発で決まったことがありません。
日産 ムラーノ
日産 エクストレイル
三菱 アウトランダー
今までの車種はこれぐらいかな?
最初の思いつきはでっかいオフロードタイヤを入れる為に作った。。
でも 実際の需要は・・・
実はハリアー&クルーガー ムラーノ用が売れています。
ずっとコンスタントに注文があり 作って出荷しています。
その リクエストの中で一番多いのが
大口径(26インチオーバー)
今回は30ハリアーを例に挙げて話します
純正(左)には太く巻かれたバネに 大きな皿が付いています。
これが 厄介者!!
これがある為 大口径を履かせるには
24インチ(275/25か255/30)が限界値
それ以上外径を上げるには 直巻きバネのスリムはショックが必要
ここに 26インチや28インチを入れたがる人が居る・・・
そんな方に アンダーグラウンドで支持されています。
もちろん 車高調だけで ポン付けではないですよ(要注意!!)
車高調の問題が済めば あとは車体側の問題
大口径をハンドルを切る為に
フェンダー内の加工は要ります インナーのカット 叩きなどなど
さらに 純正長から上げていくと
車軸が前方向に寄ってしまうので
補正するにはテンションロッドの延長
もしくは調整式のテンションロッドが必要になる。
いろいろ あるでしょ?
ネットが普及した時代なので
ブログのみですが 多くの方に知って頂き
それを頼りに 問い合わせやメールを頂くのですが
私はできるだけおススメしません。
こういう機能部品は ドレスアップの域を超えています
両面テープやネジで付けたらどうなる?って物でもないからで
構造自体を理解していないと 無理!
かといって顔も表情も見えない問い合わせで
お客様の知識レベルを計るのは不可能です。
リスクがある手法です。
純正の車体はドライブシャフトの稼働域があり
たいてい ~7cm位が限界だと思います。
ってことは それ以上上げると車体が壊れます。
こういうリスクを含んだカスタムの一つの材料としての
実績と知識のある SHOP様への 供給のみです。
もしくは 直接うちで取り付けさせて頂く方へのみです。
でも 最近 また何故か?
お問い合わせが増え
ご注文頂いているロング車高調
時期を同じくして 得意なワンオフ車高調を STATICブランドとして
STANCE方向の極端な車高短仕様を一般からも受け付けています。
思うところあり
いままで あまり積極的に販売してこなかったロング車高調も
ちゃんと見直し もう少し一般化させていこうと思います。
(でないと 今まで苦労した意味ないですもんね)
BALANCEのロングフルタップ車高調は
ブランド名を付けて ちゃんとパッケージングして受注販売をやります。
名前は決めてあります
STL
Sky's the limit 限界なんてないよ!って意味です。
ロゴのデザインもお願いしているので
近々 お見せできるでしょう。
現在 開発中の車両は
トヨタ RAV4
既にプロトは完成し 装着して実走テストをしてもらっています。
たぶんヴァンガードもほとんど同じ筈なので完成次第テストします。
言った以上 さらにやっていきます。
他にはない車高調を望む方
一度 きいてみてください
ただ うちも過去に実績の無いものは
やってみないと分かりません。
実績の無い車両は 車を貸して頂き
開発させて頂く形となります。
今 思いついているのは
スズキ エスクード
日産 JUKE
マツダ CX-7
マツダ トリビュート
こんな候補かな?
ヤル気ある ワンオフ魂のオーナー様
日本初のリフトアップに挑戦したくなったら
ご連絡をお願いいたします!!
☆今日は「モノレール開業記念日」。最近はあまり羽田に行くこともなくて、乗っていないですねえ。でもモノレールは好きな乗り物。空を飛んでいるような感じが好きです。
【記念日】
●モノレール開業記念日
東京モノレールが制定。
1964年のこの日、浜松町~羽田空港の東京モノレールが開業した。
日本初の旅客用モノレールだった。遊覧用のものでは1957年に上野動物園に作られたものが最初だった。
東京モノレール
●キュートな日,キュートナーの日
いつまでも若々しい「キュートな」大人を「キュートナー」と呼ぶことを提唱している作曲家・中村泰士が制定。
「キュー(9)ト(十)な(7)」の語呂合せ。
▼憲法記念日 [アメリカ合衆国]
1787年のこの日、アメリカ合衆国憲法の署名が行われた。
▼牧水忌
歌人・若山牧水の1928(昭和3)年の忌日。
愛酒の日 8月24日
▼鬼城忌
俳人・村上鬼城の1938(昭和13)年の忌日。
【今日の世界の年中行事】
◆イタリア料理の日 (日本の旗 日本)
日本イタリア料理協会が制定。イタリア語で「料理」を意味する「クチーナ(CUCINA)」を917と読む語呂合わせから。
◆フォン・シュトイベン・デー(英語版)(アメリカ合衆国)
ジョージ・ワシントンに仕え大陸軍に軍隊の訓練を教えたドイツ出身の軍人フリードリッヒ・ヴィルヘルム・フォン・シュトイベンの誕生日。地域によっては19日や24日に祝われる。
◆国家の英雄の日(英語版)(アンゴラ)
アンゴラ独立戦争を指導し、独立後は初代大統領となったアゴスティニョ・ネトの誕生日。
【できごと】
901年(延喜元年8月2日) - 『日本三代実録』が完成。
1176年 - ミュリオケファロンの戦い。ルーム・セルジューク朝が東ローマ帝国(コムネノス王朝)に勝利。
1567年(永禄10年8月15日) - 織田信長が斎藤龍興の居城だった稲葉山城に移り岐阜城と改称。
1630年 - ピューリタンがボストンの街を建設。
1631年 - 三十年戦争: ブライテンフェルトの戦い
1737年 - ハノーファー選帝侯ゲオルク・アウグストがゲオルク・アウグスト大学ゲッティンゲンを創設。
1787年 - フィラデルフィア憲法制定会議がアメリカ合衆国憲法(案)を策定し、散会。
1789年 - ウィリアム・ハーシェルが土星の衛星「ミマス」を発見。
1809年 - ロシア帝国とスウェーデン王国がフィンランド戦争の講和条約「フレデリクスハムンの和約」を結ぶ。
1859年 - ジョシュア・ノートンが自らを「合衆国皇帝にしてメキシコの庇護者ノートン1世」と宣言。
1862年 - 南北戦争:アンティータムの戦い
1882年 - 1882年の大彗星が太陽表面から46万kmのところを通過し、太陽のすぐ脇でも明るく見える大彗星となった。
1894年 - 日清戦争:黄海海戦
1900年 - 米比戦争:マビタクの戦い
1920年 - 佐伯矩の私立営養研究所を発展させた国立栄養研究所(現国立健康・栄養研究所)が設立。
1928年 - オケチョビー・ハリケーン(英語版)がフロリダ州に襲来。死者2500人以上。
1939年 - 第二次世界大戦・ポーランド侵攻: ナチス・ドイツのポーランド侵攻に呼応する形でソ連赤軍がポーランド東部に侵攻。
1939年 - 第二次世界大戦: イギリス海軍の空母カレイジャスがドイツ軍のUボートから攻撃され沈没。
1939年 - フィンランドのTaisto Mäkiが10000メートル競走で29分52秒6を記録。人類史上初めて10,000メートルで30分を切る。
1944年 - 第二次世界大戦:マーケット・ガーデン作戦開始。
1945年 - 枕崎台風が鹿児島県枕崎市付近に上陸。日本列島を縦断し、死者行方不明者3756人。
1945年 - 瑞穂村開拓団集団自決発生。
1950年 - 第一次インドシナ戦争: サイゴンでアメリカから派遣されたブリンク准将らがインドシナ軍事援助顧問団を結成する。
1952年 - 伊豆諸島南部の岩礁で噴火が発生。18日、噴火を発見した漁船の名から明神礁と命名。
1952年 - 戦後初の国産航空機であるR-52が初飛行。
1956年 - オーストラリアでテレビ放送開始。
1957年 - マレーシアが国連に加盟。
1959年 - アメリカの高高度極超音速実験機X-15が初の動力飛行に成功。
1961年 - ダグ・ハマーショルド国連事務総長が乗った飛行機が墜落。翌日死亡。
1964年 - 東京モノレールが開業。日本初の旅客用モノレール。
1966年 - 平新艇事件:北朝鮮漁船が日本への亡命をはかる。
1968年 - 江夏豊(阪神)が甲子園球場での対巨人戦で王貞治から日本記録となる354個目の奪三振を記録。10月に世界記録を達成し、このシーズンで401奪三振を記録。
1969年 - 徳島県知事選挙でNHKが初のテレビ政見放送を実施。
1974年 - バングラデシュ、グレナダ、ギニア・ビサウが国連に加盟。
1976年 - NASAが初のスペースシャトル「エンタープライズ」を公開。
1978年 - エジプト大統領アンワル・アッ=サーダートとイスラエル首相メナヘム・ベギンがキャンプ・デービッド合意に調印。
1980年 - ポーランドで独立自主管理労働組合「連帯」が発足。
1983年 - ヴァネッサ・ウィリアムスがアフリカ系アメリカ人初のミス・アメリカに選ばれる。
1988年 - 第24回夏季オリンピック、ソウルオリンピック大会開催。10月2日まで。
1991年 - 韓国、北朝鮮、エストニア、ラトビア、リトアニア、マーシャル諸島、ミクロネシア連邦が国連に加盟。
1991年 - Linuxカーネルの最初のバージョン(0.01)がインターネット上に公開される。
1993年 - ロシア軍がポーランドから完全撤退。
2002年 - 日本の小泉純一郎首相が訪朝。日朝首脳会談が行われ、北朝鮮の金正日総書記が日本人拉致を公式に認める。
2004年 - プロ野球再編問題での労使交渉が決裂。日本プロ野球選手会が日本プロ野球史上初のストライキ決行を発表。
2006年 - スウェーデン議会の総選挙が行われフレドリック・ラインフェルト率いる穏健党を中心とする中道右派連合が勝利。
2016年 - 『週刊少年ジャンプ』42号にて秋本治の漫画『こちら葛飾区亀有公園前派出所』が連載終了。1976年9月21日発売の週刊少年ジャンプ42号からの連載40年に幕を閉じる。
【今日が誕生日:おめでとうございます!】
1192年(建久3年8月9日) - 源実朝、鎌倉幕府第3代将軍(没年 1219年)
1505年 - マリア・フォン・エスターライヒ、ハンガリー王ラヨシュ2世妃(没年 1558年)
1552年 - パウルス5世、ローマ教皇(没年 1621年)
1630年 - ラヌッチョ2世、パルマ及びピアチェンツァ公(没年 1694年)
1730年 - フリードリッヒ・W・フォン・シュトイベン、陸軍軍人(没年 1794年)
1739年 - ジョン・ラトリッジ、政治家、判事(没年 1800年)
1764年 - ジョン・グッドリック、天文学者(没年 1786年)
1801年 - エドワード・ウィリアム・レイン (Edward William Lane)、東洋学者(没年 1876年)
1826年 - ベルンハルト・リーマン、数学者(没年 1866年)
1856年 - 平岡ひろし、野球選手、指導者(没年 1934年)
1857年 - コンスタンチン・ツィオルコフスキー、宇宙工学者(没年 1935年)
1863年(文久3年8月5日) - 河本にわ、長寿世界一(没年1976年)
1869年(明治2年8月2日) - 江見水蔭、小説家(没年 1934年)
1869年 - クリスティアン・ランゲ、平和主義者(没年 1938年)
1870年 - 横田千之助、政治家(没年 1925年)
1882年 - フランク・シュルト、メジャーリーガー(没年 1949年)
1883年 - ウィリアム・カーロス・ウィリアムズ (William Carlos Williams)、詩人(没年 1963年)
1900年 - J・ウィラード・マリオット、マリオット・インターナショナル創業者(没年 1985年)
1901年 - 堀内寿郎、化学者(没年 1979年)
1903年 - 男女ノ川登三、第34代横綱(没年 1971年)
1904年 - フレデリック・アシュトン、バレエダンサー、振付師(没年 1988年)
1907年 - 東野英治郎、俳優(没年 1994年)
1913年 - 益田兼利、陸軍軍人、陸上自衛官(没年 1973年)
1914年 - 金丸信、政治家(没年 1996年)
1917年 - 尹伊桑、作曲家(没年 1995年)
1918年 - ハイム・ヘルツォーグ、イスラエルの大統領(没年 1997年)
1920年 - 塚本幸一、ワコール創業者(没年 1998年)
1922年 - アゴスティニョ・ネト、詩人、アンゴラの大統領(没年 1979年)
1923年 - 芦部信喜、憲法学者(没年 1999年)
1924年 - 八木進、プロ野球選手(没年 没年不詳)
1925年 - 杉下茂、元プロ野球選手
1929年 - スターリング・モス、F1レーサー
1930年 - 石川喬司、作家、評論家
1930年 - トーマス・スタッフォード、宇宙飛行士
1931年 - 曾野綾子、小説家
1932年 - ロバート・B・パーカー、小説家(没年 2010年)
1933年 - 中川嘉美、政治家(没年 2005年)
1934年 - ヴァルダ・オズボーン、フィギュアスケート選手
1935年 - 杉浦忠、元プロ野球選手、監督(没年 2001年)
1937年 - 山本八郎、元プロ野球選手
1937年 - オーランド・セペダ、メジャーリーガー
1939年 - 金基洙、プロボクサー(没年 1997年)
1940年 - 松本俊一、元プロ野球選手
1941年 - 橋爪功、俳優
1943年 - 江崎鉄磨、政治家
1944年 - ラインホルト・メスナー、登山家
1947年 - 小坂敏彦、元プロ野球選手
1947年 - ちあきなおみ、元歌手
1948年 - 小宮山洋子、政治家、元NHKアナウンサー
1950年 - 若生正廣、高校野球指導者
1951年 - 山崎海童、俳優
1953年 - 影山日出夫、ジャーナリスト、NHK解説委員(没年 2010年)
1954年 - 竹本健治、推理小説作家
1955年 - マーシャル・ブラント、元野球選手
1955年 - チャールズ・マーティネー、俳優、声優
1956年 - アルマズベク・アタンバエフ、政治家、第4代キルギス大統領
1957年 - デヴィッド・ビントレー、バレエダンサー
1958年 - マンフレート・ホーネック、指揮者
1959年 - 大島さと子、女優
1960年 - デイモン・ヒル、F1レーサー
1960年 - ジョン・フランコ、元メジャーリーガー
1962年 - 大倉孝一、野球選手
1963年 - 蝶野正洋、プロレスラー
1963年 - ジェレミー・ノスィーダ、調教師
1963年 - 松岡ゆみこ、女優・タレント
1965年 - ブライアン・シンガー、映画監督
1965年 - 中裕司、ゲームクリエイター
1965年 - 三浦将明、元プロ野球選手
1966年 - 河村博司(ソウル・フラワー・ユニオン)、ミュージシャン
1966年 - フッキー、ものまねタレント(ノブ&フッキー)
1967年 - えまお(絵麻緒ゆう)、女優、元宝塚トップスター
1968年 - ティト・ビラノバ、元サッカー選手、サッカー指導者
1969年 - ビスマルク・バレット・ファリア、元サッカー選手
1969年 - 三瀬真美子、タレント(シェイプUPガールズ)
1971年 - 田之上慶三郎、プロ野球選手
1971年 - 角田華子、フリーアナウンサー、タレント
1971年 - アドリアナ・カランブー、ファッションモデル
1971年 - イェンス・フォイクト、自転車ロードレース選手
1972年 - 花島優子、女優、タレント
1972年 - 上杉宏樹、元スキージャンプ選手
1972年 - ブレイディー・ラジオ、元プロ野球選手
1973年 - アナスタシア、歌手
1973年 - 市丸和代、女優
1973年 - 岩崎一則、お笑い芸人(Hi-Hi)
1974年 - 徳山昌守(洪昌守)、元プロボクサー
1974年 - 山田康弘、NHKアナウンサー
1975年 - タイナ・ローレンス、陸上競技選手
1975年 - 安田真範、元野球選手
1976年 - 本多小百合、中京テレビアナウンサー
1976年 - 小島可奈子、グラビアアイドル、女優
1976年 - 中野渡進、元プロ野球選手
1976年 - 塚田文、フリーアナウンサー
1976年 - 一橋忠之、NHKアナウンサー
1978年 - なかやまきんに君、タレント
1979年 - 青山草太、俳優、タレント
1979年 - 谷口拓也、ゴルファー
1980年 - 三山ひろし、演歌歌手
1980年 - 坂本爽、俳優
1980年 - 坂本昌也、ギタリスト(FREENOTE)
1980年 - 朝倉理子、ファッションモデル、タレント
1981年 - バカリ・コネ、サッカー選手
1982年 - 上野紋、アナウンサー
1982年 - 福藤豊、アイスホッケー選手
1983年 - 松崎伸吾、プロ野球選手
1983年 - 仲の国将、元大相撲力士
1984年 - 金大恩、体操競技選手
1984年 - 高橋涼子、シンガーソングライター
1984年 - 円谷英俊、プロ野球選手
1984年 - 嵐優子、タレント
1984年 - 庄司こなつ、タレント
1984年 - もりちえみ、タレント
1984年 - 江上敬子、お笑いタレント(ニッチェ)
1985年 - 北山宏光、アイドル(Kis-My-Ft2)
1985年 - 長谷川未来、タレント
1985年 - アレクサンドル・オベチキン、アイスホッケー選手
1985年 - トマーシュ・ベルディハ、テニス選手
1986年 - パオロ・デ・チェリエ、サッカー選手
1986年 - 松岡禎丞、声優
1987年 - 巽悠衣子、声優
1987年 - 中村アン、モデル・タレント
1987年 - AYAMO、ファッションモデル
1987年 - 千代桜右京、元大相撲力士
1988年 - ステファン・サンデー、サッカー選手
1988年 - フィッツジェラルド舞行龍ジェームズ、サッカー選手
1988年 - 田中優夏、モデル
1988年 - 北条佳奈、グラビアアイドル、女優
1989年 - JUNICHI、画家
1989年 - 久宥茜、グラビアアイドル、女優
1989年 - 中後悠平、プロ野球選手
1990年 - ケンドラ・モイル、フィギュアスケート選手
1990年 - マーカス・セミエン、メジャーリーガー
1990年 - 池山あゆ美、野球選手
1991年 - 石川遼、ゴルファー
1991年 - ささの翔太、俳優
1991年 - 宇佐美蘭、キャスター
1991年 - 寿美菜子、声優
1991年 - 大嶺翔太、プロ野球選手
1993年 - 平野聡子、グラビアアイドル、女優
1994年 - 北川佳穂、バスケットボール選手
1995年 - 東方伸友、プロ野球選手
1996年 - 野中葵、ファッションモデル
1997年 - 渡辺恵伶奈、モデル、女優
1998年 - 岡崎大輔、プロ野球選手
生年不明 - 風雅なおと、歌手
【今日の誕生花】
◆エリカ Heath
花言葉:孤独
◆アベリア(筑波嶺空木) Abelia
花言葉:強運
◆チューベローズ(月下香) Tuberose
花言葉:危険な快楽
【亡くなった方:ご冥福お祈りします】
1575年 - ハインリヒ・ブリンガー、神学者(生年 1505年)
1611年 - バルトロメウス・スプランヘル、画家(生年 1546年)
1621年 - ロベルト・ベラルミーノ、カトリック教会枢機卿(生年 1542年)
1665年 - フェリペ4世、スペイン王(生年 1605年)
1762年 - フランチェスコ・ジェミニアーニ、作曲家、ヴァイオリニスト(生年 1687年)
1786年(天明6年8月25日)- 徳川家治、江戸幕府第10代将軍(生年 1737年)
1836年 - アントワーヌ・ローラン・ド・ジュシュー、植物学者(生年 1748年)
1863年 - アルフレッド・ド・ヴィニー、作家(生年 1797年)
1892年 - ルドルフ・フォン・イェーリング、法学者(生年 1818年)
1894年 - 鄧世昌、海軍軍人(生年 1849年)
1907年 - イグナーツ・ブリュル、ピアニスト、作曲家(生年 1846年)
1924年 - ジョン・マーチン・シェバーリ、天文学者(生年 1853年)
1928年 - 若山牧水、歌人(生年 1885年)
1936年 - アンリ・ルシャトリエ、化学者(生年 1850年)
1938年 - ニコライ・コンドラチエフ、経済学者(生年 1892年)
1938年 - 山中貞雄、映画監督(生年 1909年)
1938年 - 村上鬼城、俳人(生年 1865年)
1948年 - フォルケ・ベルナドッテ、スウェーデンの王族、外交官(生年 1895年)
1948年 - ルース・ベネディクト、文化人類学者(生年 1887年)
1949年 - 岡田資、陸軍軍人(生年 1890年)
1956年 - 岩崎輝弥、実業家、鉄道ファン(生年 1887年)
1963年 - エドゥアルト・シュプランガー、哲学者、心理学者、教育学者(生年 1882年)
1965年 - 櫻井忠温、陸軍軍人、作家(生年 1879年)
1966年 - フリッツ・ヴンダーリヒ、テノール歌手(生年 1930年)
1979年 - 吉田満、小説家(生年 1923年)
1980年 - アナスタシオ・ソモサ・デバイレ、軍人、ニカラグア共和国大統領(生年 1925年)
1980年 - 内村祐之、精神医学者、プロ野球コミッショナー(生年 1897年)
1985年 - ローラ・アシュレイ、ファッションデザイナー(生年 1925年)
1991年 - ジノ・フランチェスカッティ、ヴァイオリニスト(生年 1902年)
1994年 - 中川勝彦、歌手、俳優(生年 1962年)
1994年 - カール・ポパー、哲学者(生年 1902年)
1994年 - ビタス・ゲルレイティス、テニス選手(生年 1954年)
1996年 - スピロ・アグニュー、政治家、アメリカ合衆国副大統領(生年 1918年)
1997年 - 会田雄次、歴史学者(生年 1916年)
2005年 - アルフレッド・リード、作曲家、指揮者(生年 1921年)
2006年 - 曽我部和恭、声優(生年 1948年)
2007年 - 犬塚稔、脚本家、映画監督(生年 1901年)
2007年 - 森田光徳、シャボン玉石けん社長(生年 1931年)
2008年 - 渡辺源次郎、経済学者(生年 1919年)
2009年 - ヌルディン・モハンマド・トップ、イスラム過激派指導者、テロリスト(生年 1968年)
2012年 - 佐々木敢一、歌手(生年 1934年)
2013年 - 豊田英二、トヨタ自動車最高顧問(生年 1913年)
2015年 - デットマール・クラマー、サッカー選手・指導者(生年 1925年)
2016年 - 山本一義、プロ野球選手(生年 1938年)
日本のメディはこのニュースがえらい軽い。
「安倍ちゃん、よくやった」と言う様なニュースは、流したくないんでしょうね。
テレビも新聞も取り扱いが小さいですわ。
多分、山尾・前原などのニュースのほうが大きいんでしょうな。
馬鹿なメディアだわ。
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安倍首相、インドで大歓迎 4度目の訪印
9/14(木) 2:05配信
日本時間13日午後7時すぎ、インド西部の都市アーメダバードに到着した安倍首相。
熱烈なインド舞踊での歓迎に、昭恵夫人は、思わずスマホで撮影。
さらに、インドのモディ首相に促されて、花束に囲まれた特別車両に乗り込む安倍首相は、いつの間にか民族衣装の姿に。
そして始まったのは、9kmに及ぶパレード。
沿道には、数え切れないほどの市民が押し寄せ、街には、安倍首相の写真を載せた看板に、日本語で「ようこそ」の文字まで。
アーメダバードは、モディ首相の出身地。
この地に招かれ、パレードも開かれた外国の首脳は安倍首相が初めてだと、現地メディアは報じている。
安倍首相にとって、インド訪問は今回で4度目。
14日には、10回目の首脳会談も控える。
なぜ、これほどまでにインドとの関係を重視するのか。
そこには、経済協力、そして、「ある国」をけん制する狙いがあった。
2016年のGDP(国内総生産)成長率が7.1%と、中国を上回るほど、急速な成長を遂げるインド経済。
こうした背景から、インドに進出する日系企業も、右肩上がりで増加している。
経済のつながりを強める中、2016年、モディ首相が来日した際には、「モディ首相は、大変気に入っておられまして...」と、首相自ら、新幹線のトップセールスを展開。
2023年開業予定のインド初の高速鉄道に、日本の新幹線方式を採用することが決まっており、ほかの路線にも採用を働きかけた。
インド滞在中には、この高速鉄道の起工式典にも出席し、インフラの輸出を通して、さらなる関係の強化を図ることにしている。
そして、もう1つ、インドと蜜月関係を築く理由が、中国の海洋進出対策。
日本にとって経済の生命線ともいえる、南シナ海からインド洋、スエズ運河に至る、シーレーン。
今、中国が、このシーレーンに強い影響力を及ぼす動きを見せている。
中国は、ミャンマーやパキスタンなど4カ国に、港の建設を援助。
つなぎ合わせてみると、インドにネックレスをつけるように囲んでいるのがわかる。
こうしたことから、海洋の安全保障分野でも連携・協力を進めるなど、日本とインドの関わりは急接近している。
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このニュースの動画も有るよ。
こっちは解説も
特別車両って、スズキのジムニーですがな。
FNNも気づかなかったんだろうね。
もっと大きな車だって作ってるのに、わざわざジムニーを選んだインド。
トヨタも、日産も、ホンダも、嫌がったインド進出。
スズキだけが進出してくれた感謝が、この特別車に込められてると思います。
安倍ちゃんのおかげで、昨年からインド入国が凄いことになってるですよ。
何と日本人に、アライバルビザが適用されてます。
つまりインドに到着して、入国審査前にビザを貰えば、入国できるんですわ。
インドのビザって、取るのに大変でしたからねえ。
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頑張れ日本!●
日本人に生まれてよかった!